人の不幸は蜜の味…

 

人の不幸は蜜の味

 

他人の不幸を見聞きして喜んだり快さを覚えたりすることだ。

 

私はつい最近ではあるが、これをやめました。

 

つまり、つい最近まではやっていたという事です。

 

しかし…もう、やめます。

 

私はアルコール依存症だが、呑みまくり、酒に溺れている時は本当に、心がさもしい人間だった。

 

正しい日本語なのかは分からない。

 

あの時の私は、ネットに載っている他人の不幸なネタを酒のアテにして、ほくそ笑むような、クソみたいな時間を過ごしていた。

 

時には、あまりに眩しい輝き✨を放ち続ける大好きな大谷翔平さんの活躍ですらも、私には眩し過ぎて、目を背けたりするようにもなっていた。

 

以前、尊敬している方にこう言われたことがある。

 

『神様は見ているよ。』

 

言われた時は正直ピンと来なかったが、今になり良く分かるようになった。

 

良く、「ブーメラン」とか「しっぺ返し」とか言うのを耳にするけど、それはあると思う。

 

やはり、口は災いの元というが、余計なことは言わないことだと思う。

それは、言霊となって、いずれその人に返って来る、そういう事なのだろう。

 

ドイツ🇩🇪には、「シャーデンフロイデ」という言葉があります。

 

Schaden(害)とFreude(喜び)という言葉が合わさったものです。

 

この分野の研究者たちによれば、現代人の間で特にこうした感情を抱く人が増えており、主な要因は3つあるという。

 

この感情の根底にはしばしば、不公平感や道徳的優越感、妬み、または不幸な目に遭った人に対する「当然の報いだ」という思いがあるのだという。

 

自分が嫉妬していた同僚が上司から絞られていたり、運転中にスピードを出して自分を追い越していったピカピカのスポーツカーが、目の前でパトカーに停められるのを見てほくそ笑んだりするのはそのためだ。

 

シャーデンフロイデが蔓延し始めた背景には、パンデミック、すなわち新型コロナウイルス感染症の世界的流行がある。

 

パンデミックは、道徳的優越感、自慢、そして深刻な被害と不幸をもたらす病気という複数の要素が重なって、シャーデンフロイデを生む環境を整えてしまいました。

 

ワクチンを打たずにウイルスに感染した人や、逆にワクチンを打ってマスクもしていたのに感染した人たちに対して、「それ見たことか」と後ろ指を指す反応は、やはりシャーデンフロイデによるものであろう。

 

現代のシャーデンフロイデの蔓延に最も貢献していると思われる3つ目の要因にも触れている。

 

ソーシャルメディアである。

 

とかく、嫌いな人物に対してはシャーデンフロイデの快感が強くなると指摘する。

 

ソーシャルメディアはまた、他人と自分を比較し、嫉妬を増殖させる場にもなっている。

 

嫉妬は、ほかのどんな感情よりもシャーデンフロイデを膨らませてしまいます。

 

多くの人がソーシャルメディアでニュースを仕入れ、有名人の炎上や近所の人の離婚といった他人の不幸を目にしていることを示している。

 

さらに、人々のイデオロギーを操作するために、ソーシャルメディアでシャーデンフロイデが利用されることもある。

 

シャーデンフロイデを感じると、自分のチームが成功するよりも相手チームが失敗するのを見るほうが報われた気分になる。

 

シャーデンフロイデが社会に与える影響もさることながら、それよりも、そのような感情を抱く本人への影響の方がはるかに有害だ。

 

どんな人でも、時にはシャーデンフロイデを感じることがあるはずだ。とはいえ、あまり褒められるような感情でないことは確かだ。

 

基本的にシャーデンフロイデは、悪意をもって他人の人間性を否定しているわけです。

 

そこから抜け出すためにできることのひとつは、相手の立場に立つことだ。

 

他人の不幸に対する最も思いやりのある反応は、シンパシー(同情)です。

 

その同情は、(相手の立場に立ってみること)エンパシー、共感から生まれます。

 

人の感情を利用したり、社会的比較を押し付けようとしたり、勝ち負けだけで世界を見ることを促すような人や場所を避けるよう勧めている。

 

誰もが勝ち組になれる場所を増やすことです。

 

そうすれば、シャーデンフロイデが生じる確率は低くなります。

 

自分のなかにシャーデンフロイデがあることを認識し、それを何とかしたいと思うなら、その感情がしばしば自分の自信のなさによって起こるものだということを認識すると良い。

 

そうすると、自分自身に対する気持ちを、他者の幸不幸に対して抱く気持ちから切り離すことができます。

 

また、不幸な目に遭った人がいたら、「自業自得だ」「当然の報いだ」という自分の思いが本当に正しいのかどうかよく考えるように勧める。

 

誰かの不幸が妥当であると主張するなら、それが本当に真実かを確認すべきです。

ただ単に嫌な人が不幸にあっているのを見て自分が喜んでいるから言っているのではないと断言できますか?

 

以上のアドバイスを実践するのが難しいなら、少なくとも他人の不幸を喜ぶ気持ちを自分の心のなかだけにとどめておくべきだ。

 

自分のなかにあるシャーデンフロイデに葛藤を覚えるなら、それは良い兆候です。それすらもなく、純粋に人の不幸を喜んでいるとしたら、それが一番残酷です。

 

最後までお読み頂き、有難うございました。

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