おはようございます。
早いもので・・・
ひと晩寝たら・・・・
10月🍁になってました。
なんか、キョトンとしてます、ワタシ😯
ついに、この一年も、のこり3ヶ月か〜
競馬🐴でいうと、ラスト3ハロンだ…
思えば、今年は本当に大変だった・・・
恐らくは、年収としては今までで過去ワーストとなったのは間違いない…
そりゃ、そーだ。今もこうして入院してるし、まともに働いたのは、4ヶ月にも満たないのだから…当たり前だ
来年は確定申告しないぞ!と2021年3月🌸に誓った決意は儚くも消えた…🍃
年が明けたら、また税務署に行かなくてはならない。
一体、何年連続で、私は確定申告をしているのだ?
サラリーマンなのに!
たぶん、2014年度分が年末調整をした最後だったように思うが…
もはや自分でも良くわからない。
しかし、2022年に収める税金は、激減⤵するだろうな…。
県や市に対して、全然貢献出来てない…
本当に申し訳ないです😔
しっかり治して、必ず復活します!!
ですので、お許しください!! m(_ _)m!
さて、本題に入ります。
先日、【終わりの始まり⑳】にて、
酷い悪夢をみた事はお伝えしました。
その内容をお話ししたいのですが…その前に、私が38才の時に、何故にホワイトカラー(総務人事)から、ブルーカラー(製造オペレーター)に左遷されたのかを伝えさせて下さい。
きっかけは、2つあります。
1つ目は、中途採用事件です。
当時私は、上司の指示で中途採用を積極的に行なっていた。
中途採用試験は通算で2回実施された。
1回目で無事に10名が狭き門を突破し、入社した。
しかし、その時に残念ながら、選考結果が11番目となり、不採用となったS君が居た。
私はその結果に納得が出来なかった。
一端の平社員のくせに、上司に不採用の理由を問い詰めた。
理由は『元気が足りない』というモノだった…。
何だ、ソレ?
更にモヤモヤが募った。
ワタシは、堪らなくなり、S君にコンタクトを取ることを試みたのだ。
私の会社のパソコンから、履歴書に記入されていた彼のメールアドレスにメールを送信した。
もちろん、人事として、やってはならない事である事は重々認識していた。
何故、そんな事をしたのか?正直今でも良くわからない。
強いて言えば、ただ、私は彼を励ましたかった…でも、それは単に私の自己満足に過ぎなかったのだ。
その後、S君から返信があり、私は彼と数回メールのやり取りをした。
そして、2回目の中途採用が行なわれる事が決定したのだ。
1回目が終わってから、まだ3ヶ月しか経っていなかった…
私は、当然、S君にその事を伝えた。
もちろん、私には採用権限が無い事や、便宜は一切計らえない事も伝えた。
しかし、誤算が生じた。
2回目の応募書類の中に、前回不採用となった方の履歴書が再び送られてきたのだ。かなりの数があった…
上司に相談すると、前回の不採用者は書類選考で落とせとの指示だった。
私は、当然上司に食い下がったが、受け入れられなかった…
上司曰く、『一度落ちた人間はウチとは縁が無いんだよ…』
冷たい表情でボソッとつぶやいていた。
マズいな…私の計算が狂ってしまった…
しかし、私は手を止めようとはしなかった。
禁断のパンドラの箱を開けたのだった。
私はS君の応募書類を通過させた。
私は事前にS君に履歴書の写真の差し替えと内容の変更を指示していた。
2回目の中途採用試験は実施された。
S君は順調に筆記試験を通過し、最終の面接試験に進んだ。
しかし、面接官は前回と同じだ。
彼が居ることに驚いた面接官も居た。
上司は私が何をしたのか、察していた。
『ぶた丸の奴、やりやがったな…』
目の奥から怒りが伝わってきた。
私は、彼の採用を祈るのみだった…
結果が判明した。
S君は、又しても不採用となった…
しかも、11番目
又しても、ボーダーラインだった…
誤算だったのは、前回よりも応募者のレベルが上がった事だった。
しかし、5名居る面接官の中で、S君を推す声は実際に有った。
しかし、彼は届かなかった…
私はただひたすら悔しかった…
しかし、もっと辛かったのは、他ならぬS君だったであろう。
私はとてもじゃないが、彼に連絡を取れなくなっていた…
応募書類の返送が終わり、一週間が経った頃だった…
とっくに定時を過ぎた20時だった。
会社の代表電話が鳴った。
資材事務のアッキーが電話を取った。
S君の関係者からの電話だった…
申し訳ございません。もう少し続きます。お許しを。
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