平成23年、私は40才になっていた。
2011年は厄年(大厄)だった。
3月11日、あの忌まわしき記憶…
東日本大震災が起こった。
私の居る西日本でも揺れを感じた。
『ただ事ではない』
それは直ぐに分かった。
本社も被災した。
山形にある工場が操業停止に追い込まれた…
既に瀕死状態だった会社に更に追い討ちが掛かった。
もう、風前の灯だった…
震災から、3ヶ月が過ぎた頃だった…
突然、会社から通達が来た。
不謹慎だが、皆んなは『赤札』と呼んでいた。
つまり、『出向辞令』だった。
妻帯者は対象外となるため、独身の私も当然呼ばれた。
総務に在籍していたら、呼ばれる事はなく、呼ぶ側の立場だっただろう…。
行き先は九州だった。
楽天家の私は、落胆するドコロか…むしろ楽しいキモチになっていた。
九州に行けば、美味しいモノがいっぱい食べられる!中洲のフーゾクにも行ける!
そんなコトばかり考えていた…
本当に救いようのないバカだ。
ただ、仲良しのモリやユータと遊べなくなる…それだけが寂しかった…😭
事前の説明会にて、ツワモノが居た…
『行きの新幹線🚅で、ビールは飲んでいいんですかぁ?』
ツワモノは質問した。
驚いた!まさに、私も同じコトを考えていたからだ…(^_^;)
総務からの回答は『常識の範囲内でお考えください』と冷たいモノだった。
ま、当たり前といえば、当たり前だ(笑)
その後、私とそのツワモノが直ぐに意気投合したのは言うまでもない…。
私の周りの若い奴らは他府県を知らない。
まるで戦地に赴くような、今にも泣きそうな顔をしていた。
私とそのツワモノだけは修学旅行に行くように、ニコニコしていた…
アル中同士、気が合った♫
九州は雨☔雨☔雨☔だった…
ひどい田舎で、周りにコンビニすら無かった。
住まいは、お決まりのレオ○レス…
ちゃちい造りで、エアコンは2時間で自動で切れる設定だった💢
ただ、そのツワモノとは、幸か不幸か近い部屋だった。
互いの部屋に入り浸りまくって、バカ話を繰り広げた。
スナックにも連れて行ってもらった。
ツワモノは既にオンナをつくっていた。
6才年上のツワモノ、手が早い。
さすがだった…😮
現地に馴染むのにはさすがの私も苦しんだ…
子どもの頃に福岡に住んでいた私でも方言についていけなかった…😣
赴任してソッコーでホームシックになった若い奴らを元気づけるため、焼き肉に連れて行ったり、先輩らしい事もした。
配属先も決まった。初めてのクリーンルームでの仕事だった。
室内は空調が効いていたが、汗かきの私には関係なく、尋常ではない汗を垂れ流していた…
唯一の楽しみは、仕事終わりのチューハイとビール🍺だった♫
備え付けの冷蔵庫には酒と魚肉ソーセージしか入ってなかった…。
両親やモリやユータに電話しながら、呑みまくっていた。
酒が切れたら、ツワモノ先輩の所にお邪魔したりしていた。
そんなノー天気な日々を過ごしていた。
九州に赴任して3ヶ月が経った頃だった…
ついに、私は人生最大の事件を起こしてしまう…。
人生が詰んだ…
終わった・・・・
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