【終わりの始まり⑮】いざ、九州へ!

 

平成23年、私は40才になっていた。

 

2011年は厄年(大厄)だった。

 

3月11日、あの忌まわしき記憶…

東日本大震災が起こった。

 

私の居る西日本でも揺れを感じた。

 

『ただ事ではない』

 

それは直ぐに分かった。

 

本社も被災した。

山形にある工場が操業停止に追い込まれた…

 

既に瀕死状態だった会社に更に追い討ちが掛かった。

もう、風前の灯だった…

震災から、3ヶ月が過ぎた頃だった…

 

突然、会社から通達が来た。

 

不謹慎だが、皆んなは『赤札』と呼んでいた。

 

つまり、『出向辞令』だった。

 

妻帯者は対象外となるため、独身の私も当然呼ばれた。

 

総務に在籍していたら、呼ばれる事はなく、呼ぶ側の立場だっただろう…。

 

行き先は九州だった。

 

楽天家の私は、落胆するドコロか…むしろ楽しいキモチになっていた。

 

九州に行けば、美味しいモノがいっぱい食べられる!中洲のフーゾクにも行ける!

 

そんなコトばかり考えていた…

 

本当に救いようのないバカだ。

 

ただ、仲良しのモリやユータと遊べなくなる…それだけが寂しかった…😭

 

事前の説明会にて、ツワモノが居た…

 

『行きの新幹線🚅で、ビールは飲んでいいんですかぁ?』

ツワモノは質問した。

 

驚いた!まさに、私も同じコトを考えていたからだ…(^_^;)

 

総務からの回答は『常識の範囲内でお考えください』と冷たいモノだった。

ま、当たり前といえば、当たり前だ(笑)

 

その後、私とそのツワモノが直ぐに意気投合したのは言うまでもない…。

 

私の周りの若い奴らは他府県を知らない。

まるで戦地に赴くような、今にも泣きそうな顔をしていた。

 

私とそのツワモノだけは修学旅行に行くように、ニコニコしていた…

 

アル中同士、気が合った♫

 

九州は雨☔雨☔雨☔だった…

ひどい田舎で、周りにコンビニすら無かった。

住まいは、お決まりのレオ○レス…

ちゃちい造りで、エアコンは2時間で自動で切れる設定だった💢

 

ただ、そのツワモノとは、幸か不幸か近い部屋だった。

互いの部屋に入り浸りまくって、バカ話を繰り広げた。

スナックにも連れて行ってもらった。

ツワモノは既にオンナをつくっていた。

6才年上のツワモノ、手が早い。

さすがだった…😮

 

現地に馴染むのにはさすがの私も苦しんだ…

子どもの頃に福岡に住んでいた私でも方言についていけなかった…😣

 

赴任してソッコーでホームシックになった若い奴らを元気づけるため、焼き肉に連れて行ったり、先輩らしい事もした。

 

配属先も決まった。初めてのクリーンルームでの仕事だった。

室内は空調が効いていたが、汗かきの私には関係なく、尋常ではない汗を垂れ流していた…

唯一の楽しみは、仕事終わりのチューハイとビール🍺だった♫

 

備え付けの冷蔵庫には酒と魚肉ソーセージしか入ってなかった…。

 

両親やモリやユータに電話しながら、呑みまくっていた。

 

酒が切れたら、ツワモノ先輩の所にお邪魔したりしていた。

 

そんなノー天気な日々を過ごしていた。

 

九州に赴任して3ヶ月が経った頃だった…

 

ついに、私は人生最大の事件を起こしてしまう…。

 

人生が詰んだ…

 

終わった・・・・

 

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