酒気帯び運転及び道路交通法違反で
現行犯逮捕された私…
人生で初めて留置所に入る事になった。
留置所は変わった構造だった。
各部屋は、丸いバームクーヘンを半分に切って、その半分を更に4等分したようなカタチといえば良いだろうか…
そこの一室に私は入った。
窓はあるが金網がついていた。
奥に和式トイレがあった。
一応仕切りみたいなモノはついていた。
後は敷布団と掛け布団と枕のみだった。
床は畳。大体、2畳くらいだった…
季節は秋🍁だったから、特に寒くは感じなかった。
寝転がり、天井の青白い灯りを見ながら、ひたすらぼんやりと考えていた
『ついに、この日が来たか…』
いつからか、私は…いつかこんな日が来ると、確信していた。
『必ずバチが当たる。神様は見ている』と、常々思っていたのだ。
会社の業績が絶好調の時も、これは夢だ!会社の実力でも何でもない!
いつか落ちる時が必ずやって来る!と必死に自分に言い聞かせていた。
しかし、言い聞かせてはいたが、やはりチョーシに乗っていたのだ…。
飲酒運転を繰り返していたのだ。
捕まって当たり前だった…
不思議と、悲しさはこみ上げては来なかった…。
むしろ、何となくだが、どこか安心している自分がいる事に気づいた。
もう、自分で自分を制御することが不能に陥っていたのだ…
後一週間で九州を出て、一旦地元に帰れる日が近づいていた。
モリやユータたちが飲み会をセッティングしてくれていた。
楽しみで楽しみで仕方がなかった…
俺が行けなくなったので、『飲み会はキャンセルしてくれるかなぁ』とか
若い奴らは俺が引率しなくても、ちゃんと帰れるかなぁ?とか、考えていた。
その日はさすがに一睡も出来なかった。
朝7時半に朝食が支給された。
看守との受け渡しは、ドアについている小窓からだった。
『ほか弁』の鮭弁当だった。
とても温かかった。
意外かも知れないが、留置所は結構自由だった。
漫画もいっぱい置いてあった。
美味しんぼや、クッキングパパ、ミナミの帝王までも置いてあった…
留置所にミナミの帝王かよ(笑)って思いながら、私は時間を潰した。
後から聞いた話だが、漫画は自殺防止の意味があったらしい。
現実逃避させる狙いがあったのだ。
朝の日課としては、朝6時半に起床
→布団をたたむ
→ホウキで床の掃き掃除
→トイレを拭く、といった感じだ。
看守は、意外だが、そんなに怖くない。
優しい看守も居た。
まだ罪が確定していないから、あまり厳しく出来ないのだ。
喉が乾いたと言えば、直ぐにお茶を出してくれた。
朝昼晩、3食すべてが『ほか弁』だった。正直、美味しかった。
年末に軽犯罪を犯して、留置所に入ろうとするホームレスが多い理由が分かった気がした。
取り調べや、弁護士との接見以外は基本的に自由だった。
私はカラダが鈍らないように、腕立て伏せや腹筋、スクワット等をしていた。
ただ、辛かったのが、入浴が週に2回だけという事だった。
シャワーなどはある筈も無かった。
お風呂も制限時間があった。
一人の持ち時間は、わずか7分だった。
看守がストップウォッチで計測していた。
シャンプー等は無く、石鹸だけだった。
看守の前で全裸になるのも、なかなか屈辱的だった。
取り調べも、穏やかに行われた。
私が全てを正直に答えたからだったかも知れない。
ただ、調書はまだパソコンではなく、全て手書きだった。
恐ろしく時間が掛かった…😖
弁護士さんも良い人だった。
『何で、君みたいなヒトが…』と言ってくれたが、もったいない言葉だった。
留置所に入って、4日目だった。
父が面会に来たのだ。
会わす顔がなかった…
申し訳なくて、泣きじゃくってしまい、ほとんど会話にならなかった。
父はユニクロで下着などを買って、差し入れしてくれた。
既に70歳を過ぎていたのに、しんどかったろうに…と思った。
父は暫く滞在すると言っていた。
ついでだから、昔の知人に会ってくると言って少し楽しそうにしていたのは、救われた気がした。
その頃からか…
いつになったら出られるのだろう?
と段々考えるようになっていた。
当初は四、五日くらいで出られると考えていたのだ。
甘かった…
大甘クソ野郎だった…
この続きは、25日の土曜日のお昼前にUPします。
乞うご期待ください!
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