留置所に入ってから、一週間が経とうとしていた…
意識を強く持たないと、曜日の感覚がなくなりかけていた。
下手すると、時間の感覚すら失いかけていた…
午前なのか、午後なのか分からない時が出てくるようになった…
ただ、新聞は普通に読ませてくれた。
そこで私はかろうじて、社会性を維持していたのだ。
毎朝、煙草を吸う人のために、10分間の日光浴の時間があった。
そこで、優しい看守さんが、
今日の秋華賞🐴は何がくる?とか…
来週の菊花賞🐴はどう思う?とか…
競馬の話しをしてきた。
意外に盛り上がった♫
そして、そんな時ほど、私の予想はビタビタ当たるのだった…😫
そして・・・・・
一人部屋を満喫していたある日の事…
私の部屋に若い男が入ってきた。
相部屋となったのだ。
男の見た目は二十代だった。
目がギラギラしていて、何か近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。
見た目通りだった…。
まず、行動が粗暴だった。
食事の仕方だ。ガツガツ食らって、まるで野良犬のようだった。
寝相も酷かった。何回も蹴飛ばされた…
イビキが特に酷かった😖
野獣のようだった…
何よりもトイレが酷かった…
あまりに酷かったので、
ココでは触れないでおく。
私からは関わらないようにしていたが、向こうから話し掛けてきた。
『兄さん、ナニしたの?』
私は『飲酒運転』とだけ答えた。
『ナニ?そんなコト??』
男は笑いながらリアクションした。
そしたら、私は聞いてはいないのに、向こうから自分の罪状を話してきた。
『強盗』だった。
しかも、悪びれた様子もなく、
仲間に裏切られた〜とか、
逃げる方向を間違えた〜とか、
話していた。
正直、怖かった…😨
ホンマもんの悪人だった。
その男とは結局、一週間、同居
(相部屋暮らし)する事になった。
ソイツは、前科者らしく、留置所にやたらと詳しかった。
私が、留置所をいつ頃出られるのか?とか、その後、裁判所に行く事とか、実況見分で現場の写真を撮りに行く事とかをペラペラ教えてくれた。
悔しいが、全部当たっていた。
あり得ない事に、私に懐いたそのオトコは自分の名前と住所を教えてきた。
たしか、コンドウと名乗った。
私のも教えてよ…と言ってきた。
もちろん断るつもりだったが、怖いので思いついたテキトーな名前を教えた。
『カナマル アキラ』
そう答えた。
理由は、わからない(笑)
住所は小学校三年生に住んでいた愛知県名古屋市の住所を教えた。
何で九州におると?と聞いてきた。
私は、単身赴任とだけ答えた。
それから、不毛な一週間が過ぎた…
留置所には二週間入った事になる。
いよいよ、私の取り調べも一通り終わり、いよいよ裁判所に向かう日がやってきた。
釈放だった。
表現が合っているのかはわからない。
ただ、ついにこの日が来たのだった。
留置所からは出られたが…
まだ、腰縄は巻かれていたし、
手錠はかけられていた…😅
ヤツは、私との別れを惜しんでいた…
『出られて、良かったね。手紙くれよな』最後の言葉だった。
書くワケねーだろ!!
言いたかったが、言葉を呑み込んだ。
裁判は略式で行われた。
そこで手錠と腰縄を解かれた。
罰金は40万円だった。
夏の賞与が吹き飛んだ…
その後、父と連れ添って、弁護士の先生に挨拶に行った。
父は一足先にひとりで帰った。
『本当にありがとう。お父さん…』
父の背中に向けて、頭を下げた。
私は荷物の整理や引っ越しの手配のため、一旦寮に戻った。
すると、大きな声で私を呼ぶ声がしたので見上げたら、例のツワモノが2階の部屋から手を振っていた。
『おかえり〜』と笑顔で言っていた。
私も『ただいま!!』と答えた。
自分の部屋に戻ると、キョーレツな臭いが鼻をつんざいた。
アルコールの臭いと食べ物が腐っていたから当たり前の悪臭だった…。
そそくさと掃除し、荷物をまとめ、引っ越しの手配も済ませた。
翌日、九州を後にした…
結局、本場の長浜ラーメンも鶏の水炊きも食べられなかった…
中洲のフーゾクにも行けなかった…
『さようなら。九州…』
しかし、まだ私は知らなかった…
真の地獄👿が始まるのは、これからだった事を…
この続きは、27日の月曜日の午前中にUPします!お楽しみに〜♫
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