九州から帰ってきた私…
駅には、会社の総務部長と人事課長が既に私を待ち構えていた。
まぁ、言わば、昔の上司たちだった。
人事課長は、以前、私にこっそりと『ぶた丸君はフーゾクに詳しいんでしょ?良い風俗店を教えてよ』と聴いてきた、ちんちくりんのしょーもない奴だった…。
しかし、私は神妙な面持ちで接した。
今回の件は、どう考えても、私に言い逃れは出来なかった…。
私は私自身で立案し、自分で構築した人事規程で裁かれる事になった。
こんな奴には、なかなかお目にかかれるコトないってモンだ…
処分は、問答無用だった。
懲 戒 解 雇 。
当然の処分だった…
覚悟は出来ていた。
翌日、会社に行くと、退職予告手当40万円の支給と失業保険が即日支給される旨の説明を受けた。
私は元人事の人間だ。全て知っていた。
仲良しだった女性事務員が粛々と書類の手続きを進めていた。
私はこんなカタチで帰ってきて、ゴメンナサイ🙇♂と心で彼女に詫びていた。
人事課長は『これから大変だとは思うけど、ぶた丸君なら大丈夫だよ。頑張ってね。』と温かい言葉を掛けてくれた。
手続きはあっさりと終わった。
私は、ソッコーで『モリ&ユータ』が待つ事務所へと走った!! ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
私を見て、笑い飛ばす彼ら…😂
私には有り難い祝福だった✨
私は心の底から、安心したのだった😊
私が懲戒解雇になった事を知った他の連中は、まるで潮が引くように、私から去っていった…
元々、私の会社での存在感にすがっていたダケの連中だった。それも分かっていたから、驚きは無かった。
しかし、モリとユータは違った。
変わらず私に接してくれたのだ…😭
後、もう数名居た。
女性事務員のアッキー(仮名)と、当初から一緒に働いていた、オッサン派遣社員の波平さん(仮名)たちだった。
この方々には感謝しても感謝し切れない。
その想いは、今も全く変わらない…。
会社をクビになった私は、自分が懲戒解雇になった事に、いまいち、ピンと来ていなかった…
あいも変わらず、酒🍺を呑み、競馬🐎に興じていた…
『ホンマもんのアホ』だった…(呆)
そして、再就職する前に、先ずは自分の経歴を隠すにはどうすれば良いか、その術を必死に考えていた…
結論は出た。
一度、派遣社員になって働けば、懲戒解雇の経歴は消せると判断した。
後日、早速『派遣会社』に登録しに出掛けるのだった…
仕事はあっさりと決まった。
日用品の検査業務で、歯磨き粉のチューブを外観検査する仕事だった。正直、しょーもない仕事だったが、とりあえず1ヶ月は頑張ろうとした。
しかし、私は二週間でケツを割った…
どうしても、頑張ろう!!という気持ちにはなれなかった…。
でも、まぁ良かった。
例え二週間でも、雇用契約は発生する。
狙い通り、懲戒解雇の経歴に蓋をかぶせる事が出来たのだった…。
季節は冬。
2011年の年の瀬が近づいていた…
こうして、激動の2011年(平成23年)は、終わろうとしていた…
しかし、2012年も悪い年になるとは、知る由もなかった…
■今後は、転職に特化した分については
【転職紀行】にて展開していきます。
■転職紀行が終了次第、【終わりの始まり】
に一本化して参りたいと思います。
どちらも合わせて、ご期待ください!!
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