【終わりの始まり⑫】転職成功バブル

 

離婚を経験して半年…

36才にして、私は半導体素材メーカー

に転職をした。

 

 

総務部人事課に配属された。

 

 

配属先は、総務のN部長と部長代理と

私と派遣社員のおっちゃんのみだった。

 

実務をするのは実質2名!

 

何たる少なさ…正直ボーゼンとした😮

 

見事なまでの中小企業だった😖💧

 

でも、業務の多さとは裏腹に、

やり甲斐もあり、必要とされて、

毎日スゴく楽しく、充実していた✨

 

離婚した事を、ほとんど思い出す事なく、ひたすら仕事に没頭した。

 

人生で一番仕事をした時期だった。

 

私は一般的な人事の業務をこなす傍ら、

システム担当者も兼務したりして、

まさに『なんでも屋』だった。

 

パソコンが全く使えない上司の

お守りも大変だった😭

 

余りものストレスから、気づけば

500円玉ほどの円形脱毛が出来ていた😢

 

会社は製造が追いつかず、

とにかく現場のオペレーターが足りなかったので、

求人広告を打ちまくった。

 

地元ではかなりの高条件だった為、

10名募集の所に、30倍もの履歴書が

送られてきたりした😱💦

 

私は入社時20名だった社員を、

3年間で100名に増やす事に成功した。

 

この頃『2ちゃんねる』に私の事が書かれたりした…

良い思い出だ…(^_^;)

 

一般応募で正攻法で入社してきた人がほとんどだったが、地元の議員さんからの紹介…とかいって、コネ入社する奴もいた。

 

田舎だからしょーがなかった…(^.^;

 

地元の大きな会社からの紹介もあった。

 

工学部出身者や電気、機械に強い人間を集めるのは骨が折れるので、助けられたものだった…。

 

その中に2人、今も尚

親交の深いヤツらが紛れ込んでいた…。

 

名を『モリ』『ユータ』と言った。

 

モリは入社時から何かニヤついていて、締まりのない、ふざけた奴だった(笑)

 

ユータはいわゆるチャラ男で、顔がデカかった(笑)

 

会社の業績は右肩上がりで、当時は取引先のドイツがソーラーバブルの真っ只中であり、製品が飛ぶように売れた。

 

経常利益率は26%を超えていた(汗)

 

賞与は業績連動型であり、

入社した年が7.3ヶ月、

翌年は9.7ヶ月支給された…

 

考えられない金額だった😳

 

賞与を計算していた私の手が

ぶるぶる震えたのを今でも憶えている。

 

その頃は私もバブリー(死語)だった😝

 

フィリピンパブにどハマりし、

ひと晩で4〜7万払ったりしていた。

 

私が中途入社させたモリとユータを連れて、かなりの頻度で遊びまくった。

 

中国人の女の子も居たが、フィリピーナの方がノリが良く楽しかった😄

 

モリは下戸だが、私よりも変態だった。

ユータはぶっ飛んでいた(笑)

私は私で女の子の頭皮の匂いを嗅ぎまくりながら、高い酒をガンガン飲んでいた。

私も間違いなく変態だった。

 

私の呼び名は当初は『シャチョー』だったが、途中からは『カイチョー』に昇格していた(笑)

 

当時、モリは私の好きなチューハイを持って、私の家に良く遊びに来てくれた。

 

二人で競馬🐎に興じるのがサイコーに楽しかった🎵

 

バブリーな日々が、2年ほど続いた。

 

気付けば、私の体重は104㌔に到達していた…😱

 

膝が痛かった…😣

 

しかし、そんな楽しい時間は

そんなに長くは続かない…

 

アメリカで大事件が起きた…

 

世界中に衝撃が走った…

 

リーマンショック!!

 

会社が傾き始めた…⤵

 

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