離婚を経験して半年…
36才にして、私は半導体素材メーカー
に転職をした。
総務部人事課に配属された。
配属先は、総務のN部長と部長代理と
私と派遣社員のおっちゃんのみだった。
実務をするのは実質2名!
何たる少なさ…正直ボーゼンとした😮
見事なまでの中小企業だった😖💧
でも、業務の多さとは裏腹に、
やり甲斐もあり、必要とされて、
毎日スゴく楽しく、充実していた✨
離婚した事を、ほとんど思い出す事なく、ひたすら仕事に没頭した。
人生で一番仕事をした時期だった。
私は一般的な人事の業務をこなす傍ら、
システム担当者も兼務したりして、
まさに『なんでも屋』だった。
パソコンが全く使えない上司の
お守りも大変だった😭
余りものストレスから、気づけば
500円玉ほどの円形脱毛が出来ていた😢
会社は製造が追いつかず、
とにかく現場のオペレーターが足りなかったので、
求人広告を打ちまくった。
地元ではかなりの高条件だった為、
10名募集の所に、30倍もの履歴書が
送られてきたりした😱💦
私は入社時20名だった社員を、
3年間で100名に増やす事に成功した。
この頃『2ちゃんねる』に私の事が書かれたりした…
良い思い出だ…(^_^;)
一般応募で正攻法で入社してきた人がほとんどだったが、地元の議員さんからの紹介…とかいって、コネ入社する奴もいた。
田舎だからしょーがなかった…(^.^;
地元の大きな会社からの紹介もあった。
工学部出身者や電気、機械に強い人間を集めるのは骨が折れるので、助けられたものだった…。
その中に2人、今も尚
親交の深いヤツらが紛れ込んでいた…。
名を『モリ』『ユータ』と言った。
モリは入社時から何かニヤついていて、締まりのない、ふざけた奴だった(笑)
ユータはいわゆるチャラ男で、顔がデカかった(笑)
会社の業績は右肩上がりで、当時は取引先のドイツがソーラーバブルの真っ只中であり、製品が飛ぶように売れた。
経常利益率は26%を超えていた(汗)
賞与は業績連動型であり、
入社した年が7.3ヶ月、
翌年は9.7ヶ月支給された…
考えられない金額だった😳
賞与を計算していた私の手が
ぶるぶる震えたのを今でも憶えている。
その頃は私もバブリー(死語)だった😝
フィリピンパブにどハマりし、
ひと晩で4〜7万払ったりしていた。
私が中途入社させたモリとユータを連れて、かなりの頻度で遊びまくった。
中国人の女の子も居たが、フィリピーナの方がノリが良く楽しかった😄
モリは下戸だが、私よりも変態だった。
ユータはぶっ飛んでいた(笑)
私は私で女の子の頭皮の匂いを嗅ぎまくりながら、高い酒をガンガン飲んでいた。
私も間違いなく変態だった。
私の呼び名は当初は『シャチョー』だったが、途中からは『カイチョー』に昇格していた(笑)
当時、モリは私の好きなチューハイを持って、私の家に良く遊びに来てくれた。
二人で競馬🐎に興じるのがサイコーに楽しかった🎵
バブリーな日々が、2年ほど続いた。
気付けば、私の体重は104㌔に到達していた…😱
膝が痛かった…😣
しかし、そんな楽しい時間は
そんなに長くは続かない…
アメリカで大事件が起きた…
世界中に衝撃が走った…
リーマンショック!!
会社が傾き始めた…⤵
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