誰もが知っているレンタルビデオ屋さん
ココが新しい職場となった。
牛丼チェーンで疲れた心身をリハビリするつもりで、バイト感覚で入社した。
私はレンタルビデオとレンタルCDの担当となった。
元々、映画は好きだったし、
音楽はテクノサウンドが好みだった♫
学生時代はB’zばっかを聴いていた(笑)
仕事は意外に楽しかった😄
何せ3年間ほど、何にも音楽なんか聴いてなかったから、
完全に浦島太郎状態だった…😂
店長さんからは、売場づくりは思ったように自由にやってくれて良いからね〜と言われたから、思う存分、好き勝手にやらせてもらった😎
特に私の得意ジャンルのアダルトビデオのコーナーでは、水を得た魚のようにイキイキと仕事した。
完全なる私個人の独断で陳列をごっそり入れ替えた。腐った仮死状態のビデオは全て中古で売り捌いた。
陳列方法には2種類あって、面陳と背陳があった。
売れ筋はバシバシ面陳にした。
更に、売れ筋のレンタル期間を一週間から三泊四日に変更した。
回転率を上げるのが狙いだった。
すると、直ぐに結果が出た。
私のお店のアダルトビデオの売り上げが急激に上がっていると、本部から連絡が入ったのだ。
偉いヒトから、君は何をやったんだ?!と聞かれたが、答えに困り…
企業秘密♥という事にしといた(笑)
CD担当としても大暴れした😎
当時、宇多田ヒカルが世に出始めた頃だった。
まだマキシシングルが存在しない時代で、浜崎あゆみもまだブレイク前だった。
宇多田ヒカルのAutomaticが最初に入荷した枚数はたった7枚だった。
私は本部に怒り💢の電話をして、追加で100枚を発注した。
担当者はたじろいで、そんなにですか〜?(泣)と言っていたが、
『良いから早く!!責任は取ります!』
と力技で押し切った。
私の読みは的中した🎯
Automaticはとてつもなく借りられた…
しかし、100枚でも全然追いつかなかった…
結局は更に追加で200枚発注した。
宇多田ヒカル、恐るべしだった…。
そんなこんなで、かなりの高評価を頂き、入社3ヶ月で、更にデカいお店に異動する事になった…。
丁度その頃、競馬🐎で40万当たったので、アルバイト11名をバーミヤンに引き連れていった。
バーミヤンが完全に居酒屋と化した。
会計はなんと…6万円!
レジをうつお姉ちゃんが可哀想だった…
元々長く勤めるつもりはなかった私…
そろそろ辞める計画を立てていた。
辞める理由は…
飽きたからだった(笑)
レンタルビデオ屋で勤めたのは約7ヶ月ほどだった。
次は営業職に転身するのだった…
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