牛丼チェーンの店長を辞めた私…
会社借り上げの賃貸アパートを後にし、実家に戻ることにした。
受け取った退職金の50万円の内、半分は親に渡した。
正直当時は、
『たった、これっぽっちか…』
と思ったものだが、今振り返ると、
有り難いお金だった。
久しぶりに帰った我が家はやっぱり落ち着けたし、疲れきり乾ききった心身が回復していくのが実感できた。
私は親に心配を掛けまいと、店長時代は仕事の話しはしないようにしていた。
しかし、入社2年目でいきなり関西立ち上げプロジェクトの選抜メンバーに抜擢され、関東から大阪の店舗に行った時の苦労話などを初めて親に話した。
一緒に行った先輩が大阪に馴染めず、アル中になって、アパートの階段で失禁したまま倒れてしまっていて、救急搬送された事。
倒れた先輩の代わりに働いて、60時間ぶっ通しで働いた事など、泣きながら話した。
母親は良く頑張ったと泣いて抱き締めてくれた。
父は目を閉じて黙って聞いていた。
不満そうなのは肌で感じていた。
1ヶ月ほど、就職情報誌を見ながら、ぼんやりと過ごしていた。
この時期は飲酒はしていなかったように思う。さすがの私でも無職の身で酒を呑むのは気が引けた…。
当時の私は、超がつくほどの世間知らずであった…。
1995年から1998年の事はほとんど知らない。どういう歌がヒットして、何のドラマが流行ったのか、政治で何があったのか…とか、世間の情報がスッポリと抜けていた(笑)
めちゃイケだけは録画していた🙂
店長時代は月間250時間はコンスタントに働いていた。新店立ち上げ時は300時間を超える事もあった。
食事はほぼ全てお店のモノを食べていたから、不健康極まりなかった…。
大阪は本当にキツかった。
バイトとのノリが合わなかった…。
関東から来た店長への反発心は凄まじいモノがあった。
一番手こずり、私もそろそろ壊れそうになっていた頃…
あり得ない事が起こった。
茜(【終わりの始まり⑤】に登場)を含めたバイト3人が、関東から大阪に遊びに来たのだ。
『ぶた丸店長と働きたくて、遊びに来ちゃいましたー!その代わりぶた丸店長の家に私たち泊まらせてくださいね♥』と気さくに茜は笑った。
彼らはそそくさとユニフォームに着替え、本当に働いてくれた。
涙が溢れ、前が見えなかった😭
大阪のアルバイトたちは、キョトンとしていた。
事情を知っていた茜は追い討ちをかけるように
『アンタらさー、ぶた丸店長を誤解してるで。こんな良い店長はおらんで。ま、その内分かるわ!』
と言い放った。
3人を無償で働かせた事は後でバレて、エリアマネージャーからしこたま怒られた😅
しかし、この一件から潮目は変わった。
私についてきてくれるアルバイトが一日ずつ増えていったのだ。
反発メンバーは弱体化していき、孤立していった。
ちょうどそんな時、対立メンバーの中心人物と対話する時間を設けた。
酒を呑みながら、何が不満なのか?腹を割って、洗いざらい話を聞いた。
和解するのに大して時間は掛からなかった。聞くと、どうやら私の前任店長が好きだったらしく、私がその店長の不正行為を会社に報告し、その店長が解雇された事を逆恨みしていたとの事だった。
真実を知り、誤解が解けた彼は嘘のようにお店を盛り上げてくれた。
売り上げも飛躍的に伸びた。
利益率も全店舗で1位になり、店長会で表彰を受けた。
店長時代で一番誇らしい瞬間✨だった。
茜たちへの感謝は今でも忘れてはいない。
忘れられる筈がない。。。
こんなキョーレツな日々を過ごしていたから、次の一歩をなかなか踏み出せなかった…
退職してから2ヶ月後、ようやく就職が決まった。
レンタルビデオを運営する会社だ。
かなり大手であった。
初めての転職…
でも、私はアルバイト感覚だった…
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