【転職紀行③】甘ったれクソ野郎、初めての転職活動

 

牛丼チェーンの店長を辞めた私…

 

会社借り上げの賃貸アパートを後にし、実家に戻ることにした。

 

受け取った退職金の50万円の内、半分は親に渡した。

 

正直当時は、

『たった、これっぽっちか…』

と思ったものだが、今振り返ると、

有り難いお金だった。

 

久しぶりに帰った我が家はやっぱり落ち着けたし、疲れきり乾ききった心身が回復していくのが実感できた。

 

私は親に心配を掛けまいと、店長時代は仕事の話しはしないようにしていた。

 

しかし、入社2年目でいきなり関西立ち上げプロジェクトの選抜メンバーに抜擢され、関東から大阪の店舗に行った時の苦労話などを初めて親に話した。

 

一緒に行った先輩が大阪に馴染めず、アル中になって、アパートの階段で失禁したまま倒れてしまっていて、救急搬送された事。

倒れた先輩の代わりに働いて、60時間ぶっ通しで働いた事など、泣きながら話した。

 

母親は良く頑張ったと泣いて抱き締めてくれた。

父は目を閉じて黙って聞いていた。

不満そうなのは肌で感じていた。

 

1ヶ月ほど、就職情報誌を見ながら、ぼんやりと過ごしていた。

 

この時期は飲酒はしていなかったように思う。さすがの私でも無職の身で酒を呑むのは気が引けた…。

 

当時の私は、超がつくほどの世間知らずであった…。

 

1995年から1998年の事はほとんど知らない。どういう歌がヒットして、何のドラマが流行ったのか、政治で何があったのか…とか、世間の情報がスッポリと抜けていた(笑)

 

めちゃイケだけは録画していた🙂

 

店長時代は月間250時間はコンスタントに働いていた。新店立ち上げ時は300時間を超える事もあった。

 

食事はほぼ全てお店のモノを食べていたから、不健康極まりなかった…。

 

大阪は本当にキツかった。

 

バイトとのノリが合わなかった…。

 

関東から来た店長への反発心は凄まじいモノがあった。

 

一番手こずり、私もそろそろ壊れそうになっていた頃…

 

あり得ない事が起こった。

 

茜(【終わりの始まり⑤】に登場)を含めたバイト3人が、関東から大阪に遊びに来たのだ。

 

『ぶた丸店長と働きたくて、遊びに来ちゃいましたー!その代わりぶた丸店長の家に私たち泊まらせてくださいね♥』と気さくに茜は笑った。

 

彼らはそそくさとユニフォームに着替え、本当に働いてくれた。

 

涙が溢れ、前が見えなかった😭

 

大阪のアルバイトたちは、キョトンとしていた。

事情を知っていた茜は追い討ちをかけるように

『アンタらさー、ぶた丸店長を誤解してるで。こんな良い店長はおらんで。ま、その内分かるわ!』

と言い放った。

 

3人を無償で働かせた事は後でバレて、エリアマネージャーからしこたま怒られた😅

 

しかし、この一件から潮目は変わった。

 

私についてきてくれるアルバイトが一日ずつ増えていったのだ。

 

反発メンバーは弱体化していき、孤立していった。

 

ちょうどそんな時、対立メンバーの中心人物と対話する時間を設けた。

酒を呑みながら、何が不満なのか?腹を割って、洗いざらい話を聞いた。

 

和解するのに大して時間は掛からなかった。聞くと、どうやら私の前任店長が好きだったらしく、私がその店長の不正行為を会社に報告し、その店長が解雇された事を逆恨みしていたとの事だった。

 

真実を知り、誤解が解けた彼は嘘のようにお店を盛り上げてくれた。

 

売り上げも飛躍的に伸びた。

利益率も全店舗で1位になり、店長会で表彰を受けた。

店長時代で一番誇らしい瞬間✨だった。

 

茜たちへの感謝は今でも忘れてはいない。

忘れられる筈がない。。。

 

こんなキョーレツな日々を過ごしていたから、次の一歩をなかなか踏み出せなかった…

 

退職してから2ヶ月後、ようやく就職が決まった。

 

レンタルビデオを運営する会社だ。

かなり大手であった。

 

初めての転職…

 

でも、私はアルバイト感覚だった…

 

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